かん袋の「くるみ餅」
大文禄2(1593)年のこと。当時の店主が豊臣秀吉から伏見の桃山御殿に招かれた際、伏見城の瓦葺(かわらぶ)き工事が遅々として進まぬさまを見て、餅(もち)作りで鍛えた腕力で瓦を軽々とかん袋(紙袋)のように屋根の上までほうり上げ、工事をはかどらせた。喜んだ秀吉は「かん袋」と名乗るよう命じ、これが商号となった。
創業は鎌倉時代末の元徳元(1329)年。現店主の今泉文雄さん(60)は27代目に当たる。「餡(あん)の材料は企業秘密。製法も一切公表していません」。この秘密が守られたのは一子相伝なればこそ。「子供の頃から家業の手伝いをして味と技を覚えた」。職人は雇わず、今も今泉さんが1人で手作りしている。
風情あふれる店内に足を踏み入れた瞬間、昭和の記憶がよみがえる。少し湿り気を帯びてひんやりとした甘味処(どころ)の空気感だ! 驚くべきことに、この店の商品は「くるみ餅」のみ。白い餅を鶯(うぐいす)色の餡でくるむからくるみ餅。胡桃(くるみ)は入っていない。室町時代、日明貿易でもたらされた“あるもの”が緑色の餡の正体だ。これをすり潰して餡を作り、ひと口大の軟らかくて小さな餅にくるんである。
商品を増やさない理由について「これよりおいしいものができないから」と今泉さん。完成された歴史あるお菓子はそうやすやす変えられない。同じものを作っているように見えても、同じことの繰り返しではない。なぜならもともと塩味だったというのだから…。
砂糖が日本に渡来し、流通するようになってから、このお菓子は甘くなったのだ。餅米や“あるもの”といった材料の性質や滋味も、時代とともに変化したに違いない。それぞれの時代の人の口に合わせ、「おいしい」を持続させることこそが、この菓子の伝承にほかならない。
しっかりと甘く濃厚な餡の旨(うま)みが、口の中で餅米の風味と混ざり合う。とろんとした食感の中に時々“あるもの”のかけらに出会う。餅のふんわりした弾力を楽しみつつ、舌先で餡をからめよくかんでいると、やがて一体化してさらに旨みを増す。
ひと口目の爽やかな緑の香りは豆由来なのか? 葉から出たものか? このお菓子を食べる人が、それぞれ持っている「ライブラリー」の中から緑色の“あるもの”に思索を巡らせ、思い思いのイメージで清涼感を味わってほしい。何とも不思議で楽しい時間が貴重な体験となり、喜びとなり、そしてまた食べたくなる。
(文と写真「関西スイーツ」代表・三坂美代子)
【もうひとこと】
かき氷を載せた「氷くるみ餅」も大人気です。「くるみ餅」の消費期限は当日中。残った餡をパンに薄く塗って食べると、これがまた絶品です。
【住 所】堺市堺区新在家町東1丁2の1
【電 話】072・233・1218
【営 業】午前10時~午後5時(火・水曜定休)
【最寄り駅】阪堺電気軌道寺地町駅